指導者の条件(2010.9)
先般、我々業界の元リーダーAさんが75年の生涯を終えました。
今号はそんな書き出しでのスタートであります。
当たり前のことではありますが、人間必ず死が訪れるものでありまして、亡くなった時にどれだけ周りから惜しまれたか、あるいは愛されていたかが分かるのが葬儀での参列者の数ではないでしょうか。
今回Aさんの葬儀に参列し、Aさんの偉大さと人間としての果たす役割、あるいは指導者の条件と言えるものを学ぶことが出来ました。
生前Aさんは大変バイタリティーあふれる方でありました。常にわれわれ業界を一人で引っ張っておられまして、私などからすると、同じ人間としてこうも違うのかと羨ましく感じておりました。
Aさんがまだお元気でいらした頃、私にこんなことをおっしゃっていたのを思い出しました。
「いいかい、野村君、リーダーはなぁ、ことの価値判断をするときはなぁ『善』か『悪』だよ。何が正しいかそのことの答えを用意すれば、どんなことを言っても怖くはないよ。」
時として『得』か『損』という価値判断が横行する時代でありますが、Aさんの場合、一貫して判断基準は『善』か『悪』でありました。
「野村君、『得』や『損』は一時の利だよ。」
経営上の判断に迷ったときには、常にこの言葉を思い出して、自分を戒めております。
それは、Aさんが75年にわたる経験で培った人生の答えであったような気がします。
その言葉の意味することは、容易に理解できるかもしれませんが、日々の経営の中で実践して行くのは、想像以上にしんどいものです。そんな時、Aさんは人に対して相手を思いやる愛情の注ぎ方も一流でありました。
自分に対する厳しさと他人に対する優しさ、その両輪があって終生一貫して『善』の世界を貫き通すことが出来、多くの人々から賛同を得、葬儀への参列者の数につながっていったのではないかと思っております。
Aさんが残した教訓は、我々経営者ばかりでなく、人間社会にとって普遍の価値基準であり、私にとっても大きな座右の銘をいただいた思いであります。
心からご冥福をお祈りいたします。
今号はそんな書き出しでのスタートであります。
当たり前のことではありますが、人間必ず死が訪れるものでありまして、亡くなった時にどれだけ周りから惜しまれたか、あるいは愛されていたかが分かるのが葬儀での参列者の数ではないでしょうか。
今回Aさんの葬儀に参列し、Aさんの偉大さと人間としての果たす役割、あるいは指導者の条件と言えるものを学ぶことが出来ました。
生前Aさんは大変バイタリティーあふれる方でありました。常にわれわれ業界を一人で引っ張っておられまして、私などからすると、同じ人間としてこうも違うのかと羨ましく感じておりました。
Aさんがまだお元気でいらした頃、私にこんなことをおっしゃっていたのを思い出しました。
「いいかい、野村君、リーダーはなぁ、ことの価値判断をするときはなぁ『善』か『悪』だよ。何が正しいかそのことの答えを用意すれば、どんなことを言っても怖くはないよ。」
時として『得』か『損』という価値判断が横行する時代でありますが、Aさんの場合、一貫して判断基準は『善』か『悪』でありました。
「野村君、『得』や『損』は一時の利だよ。」
経営上の判断に迷ったときには、常にこの言葉を思い出して、自分を戒めております。
それは、Aさんが75年にわたる経験で培った人生の答えであったような気がします。
その言葉の意味することは、容易に理解できるかもしれませんが、日々の経営の中で実践して行くのは、想像以上にしんどいものです。そんな時、Aさんは人に対して相手を思いやる愛情の注ぎ方も一流でありました。
自分に対する厳しさと他人に対する優しさ、その両輪があって終生一貫して『善』の世界を貫き通すことが出来、多くの人々から賛同を得、葬儀への参列者の数につながっていったのではないかと思っております。
Aさんが残した教訓は、我々経営者ばかりでなく、人間社会にとって普遍の価値基準であり、私にとっても大きな座右の銘をいただいた思いであります。
心からご冥福をお祈りいたします。
2010,08,31
|| コラム |
11:10 AM |
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